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伝言係

家の中はいつもギスギスしていました。

父のお酒の問題やそのほかいろいろなことがあって、家族のだれもが居場所のないような空間でした。
いつごろからか両親は同じ家の中にいても互いの顔を見ることもなく過ごす時間が多くなっていきました。

互いに顔を見たくないからか
「お前の方が悪いんじゃ」と母親に言っとけ
「〇〇汚いよ」と父親に言っといて
私は2人に挟まれて言葉の橋渡し、伝言係でした。

今から考えると「自分で言ってよ」の一言で済んだのかもしれない

でも 私、感受性が強いからなのか、
わかってしまう、感じてしまうんですよね 両親の気持ちが 
両親の悲しみや孤独がわかってしまうから言えない

なぜ2人は歩み寄れないのか
どちらも悪いし、どちらも悪くないのに
いつも葛藤していた自分がいる

いつも自分の中で平和というか、皆が仲良くなれないか、
皆、平和で仲良く生きていきたい希望みたいなものがあって、
仲を取り持たなければ、この場を平穏に納めなければと頑張ってしまう自分がいるんですよね

その後父は他界し、10年近くなりますが
今頃きずき始めたんです。
その時はわからなかった

父には父の、母には母の、人生の課題や学びを抱えているということを‥‥

人は人生で出会う人や仕事、日々の暮らしのなかから学びを得ようとしていることを‥‥
苦しみや喜びの中に、課題や成長のための学びがあるということを‥‥

2人の間に、そこに私が割って入ってどうする
家族とはいえ、人の学びや成長の邪魔をしてどうする

そして私は私で、2人に挟まれて学びを得ていた、ということなのだろうか

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